クズの藪八(やぶはち)は、一羽の鶴が罠にかかっているのを発見した。鶴の足が引きちぎられんばかりに金具で押さえつけられ、その首には縄が絡んで動きが取れない様子だ。巌のようなごつごつした顔が、卑しくゆがむ。
―しめたぞ
にやりと下卑た笑いを口の端に浮かべた藪八は、ここぞとばかりに鉈を取り出す。脂ぎった顔が光で照らされ、その喜びをあらわしていた。
―村の連中からクズと蔑まれ、挙句に村から遠く離れた山奥で過ごすことになってしまった、運の悪い俺だったが、今日はついてる。鶴でいっぱい引っ掛けるか
のそり、のそりと鶴に歩み寄り、藪八は鉈を頭の上に振り上げる。
と
ずる
藪八は何かに足をとられて転んでしまった。見ると、何か動物の糞があったようだ。
「くそっ!」
さらに悪いことに、持っていた鉈が鶴の首に絡んでいた縄をはずし、挙句、金具を固定していた縄までも切り裂いてしまっていた。当然、鶴はその場を飛び去り、藪八は今日のご馳走を見事に逃がしてしまったのである。
「ばぁかやろう!」
鶴が山から逃げて一刻(一時間)ほどしただろうか。人の寄り付かない断崖絶壁の山の向こう、鶴たちが暮らす、鶴の桃源郷とも言うべき住処から、怒鳴り声が鳴り響いた。
「鶴の風上にも置けねえやつだな!おめえは!」
「だってさ」
「だっても糞もねえ!スジってえもんを通さねえと、安心してお天道様を拝んでもいられねえじゃねえか。理由はどうあれ、助かったのなら、鶴らしく恩返しをするのが道理」
怒鳴っているのは、鶴の長老、その名も『ギン』。もはや鶴としての寿命をまっとうしていてもおかしくない年齢でありながら、その気迫たるや、今の若者(あくまで鶴だが)をしのぐほどである。長年手入れの行き届いた羽は、もはや白を通り越して銀色に輝き、見るものが見れば、それがもはや宝にも近いものだと理解できる。
怒鳴られているのは、鶴の『おつう』だ。銀翼が怒りで羽ばたくのを恐れ、下を向いたままおつうはただただギンの話を聞いている。
「わかったか、鶴は優雅で、かつ華麗に恩返しをしなくちゃならねえ。まして命の恩人とあっちゃ、糞野郎だろうがなんだろうが、返すのが道理ってもんだ」
「それなら、あたしが織った反物をただ家の前に置いておくだけでもいいんじゃないですか?」
「たわけ!ばか者!恥を知れ!」
「ひいい」
ギンの怒りはとどまるところを知らず、住処で話を聞いていた者たちはその身を震わせておびえる。おつうにいたっては顔面が蒼白で、白い羽でも隠せないほどである。
「鶴なら鶴らしく、人を化かしてでも反物を織って、渡して、尽くすんだ!顔も見せねえで置いていくなんてしてみろ。お天道様に・・・」
ギンが怒鳴り始めてからどのくらいが経っただろうか。もはやギンの好きなお天道様はとうの昔に落ちており、あたりは闇に包まれ始めている。それでもギンの怒りは収まらなかった。
「いいか、明日早々にその男のところに行き、恩を返して来い!いいな!」
しばらくして、藪八のもとに、一人の美しい女が転がり込んできた。名を『おつう』という。
「お、おつうたあ、なんともいい名で」
「ありがとう」
「で、なんだってこんな、人里離れたところに来たってんだ?」
「友達を訪ねてここまで来たのですけれど、外はごらんの通り大雪。体力も底をつきかけていたところにあなた様の家を見つけました。まことに手前勝手ではございますが、こちらで雪が止むまで休ませてはいただけませんでしょうか」
おつうは、ギンに言われた通りに丁寧な口調で話し、藪八の家に転がり込む作戦に出た。
と
「なるほどなるほど」
「え?」
「お前、人間じゃねえな」
おつうは不意に、体を硬直させた。
「な、何をおっしゃいますか。この通り私は生身の人間」
「馬鹿いっちゃいけねえ。あんたのいうとおり、外は大雪さ。それも人里離れたこんな山奥。道はがたがた、風は轟々。獣も幅を利かせてて危ないってのに、あんたみたいな若い女子が一人でのそのそやってこれるとは思えねえ」
藪八はおもむろに立ち上がり、おつうのもとに歩み寄ると、額がくっつくかと言うほどのところまでやってきて言った。
「失せな。妖怪には興味がねえ」
そう言うと、持っていた猟銃をおつうの肌に押し当てた。おつうは体を硬直させ、昼間の罠にかかったときよりも一層恐怖に体を震わせる。
「恩を」
おつうは、振り絞るようなか細い声で、ようやく藪八に言い寄った。
「恩を返したく存じます」
「恩?」
おつうは、洗いざらいしゃべり、山での長老の台詞もあわせて伝えると、ようやく一息ついた。
「ほぉ、恩ね」
藪八はにやりと笑うと、おつうにこう言い渡す。
「なら、俺の女になりな」
それから一年。おつうは尽くした。昼は織物。夜は夜伽。男はただただ求めるだけ。おつうは我慢し、それでも尽くした。逃げようとも思ったが、藪八がいつも腰に下げていた猟銃が眼に入るたび、体が硬直して動かなかったのである。
―なんとか、しないと
藪八にとっても、おつうにとっても転機とも言うべき日が来たのは、ほどなくしてからである。そろそろおつうが来て一年、というときになり、おつうは藪八の子を身ごもってしまった。
「え」
おつう自身、それは信じられないことだった。いくら人に化けているとはいえ、鶴である。身ごもるはずがない。おつうは悲しみと怒りが入り混じった表情で、藪八に詰め寄り、こう言った。
「取り返しのつかないことになりました」
だが、藪八から返ってきた言葉はこうである。
「ふん、一年も共に過ごしたってのにまだ俺が憎いようだが、果たしてお腹の子供まで憎めるのかい?おめえさんは」
そのとき、おつうの中で何かが切れた。
おつうは藪八の腰に手を伸ばし、とっさに猟銃をとると、その銃口を藪八の眉間に向けた。
「はは、俺を撃とうってのか」
「あたしは、あんたが憎い」
「子が生まれたからか?」
「違う」
「じゃあ、なんでだ」
おつうはその答えを言わないまま、ただ涙を一筋流すと、銃口を己の頭に押し当てた。
「私は、これにておいとまさせていただきます」
ぱんっ
乾いた銃声が藪八の家に鳴り響いた。おつうは、涙にぬれた瞳で、倒れ伏した藪八の姿を見た。
「あんた、あんた、なんだってそんなこと」
銃が撃たれる瞬間、藪八はその銃口を己に向けて撃たせたのだ。その銃弾は藪八のはらわたを食いちぎり、背中から抜けて床に刺さった。
おつうは、ただただ藪八が理解できなかった。
「なんで、そんなこと・・・」
息も絶え絶えの藪八は、震える手を伸ばし、おつうの頭にかんざしを挿す。
「おめえみてえな美人が、巌のような顔した俺のところに来てくれたのが嬉しくてな」
声を出すたび、藪八は食いちぎられたはらわたから出た血を口から吐き出す。
「今日は、一年だ。ちょうど」
藪八は、視点が定まらないようすでおつうの頬を手探りでさわり、いつものようににやりと笑うと、
「似合ってるぜ」
そう言って、事切れた。
『なんで俺が憎い』
そう聞かれたとき、おつうは答えが出なかった。はじめは恩返しだからと、嫌々ここに来て、正体がばれて、脅されて・・・
「でも」
そうだ、おつうが必死の思いで織った反物を、毎日毎日、休むことなく村で売っていたのは藪八だった。嫌われ者の藪八は、その反物の出所を聞かれてもがんとして言わず、ただ必死に売りさばいていた。
怪我をして帰ってくることもあった。
「いい気味だなんて・・・」
思っていた。藪八は毎晩、おつうを愛した。
「気持ち悪い」
そう思っていた。でも・・・
「何一つ、酷い事なんてしやしなかった」
おつうが美人だったからかもしれない。藪八が見た目以上に繊細で心優しかったからかもしれない。
「なんで、あたしはそんなことも分からなかったのだろう」
おつうは、自分が鶴で、藪八が人間であったことを悔やみ、一晩中泣くと、長老に別れを告げ、山を降りていった。
その後、おつうを見たものは誰もいなかった。
―しめたぞ
にやりと下卑た笑いを口の端に浮かべた藪八は、ここぞとばかりに鉈を取り出す。脂ぎった顔が光で照らされ、その喜びをあらわしていた。
―村の連中からクズと蔑まれ、挙句に村から遠く離れた山奥で過ごすことになってしまった、運の悪い俺だったが、今日はついてる。鶴でいっぱい引っ掛けるか
のそり、のそりと鶴に歩み寄り、藪八は鉈を頭の上に振り上げる。
と
ずる
藪八は何かに足をとられて転んでしまった。見ると、何か動物の糞があったようだ。
「くそっ!」
さらに悪いことに、持っていた鉈が鶴の首に絡んでいた縄をはずし、挙句、金具を固定していた縄までも切り裂いてしまっていた。当然、鶴はその場を飛び去り、藪八は今日のご馳走を見事に逃がしてしまったのである。
「ばぁかやろう!」
鶴が山から逃げて一刻(一時間)ほどしただろうか。人の寄り付かない断崖絶壁の山の向こう、鶴たちが暮らす、鶴の桃源郷とも言うべき住処から、怒鳴り声が鳴り響いた。
「鶴の風上にも置けねえやつだな!おめえは!」
「だってさ」
「だっても糞もねえ!スジってえもんを通さねえと、安心してお天道様を拝んでもいられねえじゃねえか。理由はどうあれ、助かったのなら、鶴らしく恩返しをするのが道理」
怒鳴っているのは、鶴の長老、その名も『ギン』。もはや鶴としての寿命をまっとうしていてもおかしくない年齢でありながら、その気迫たるや、今の若者(あくまで鶴だが)をしのぐほどである。長年手入れの行き届いた羽は、もはや白を通り越して銀色に輝き、見るものが見れば、それがもはや宝にも近いものだと理解できる。
怒鳴られているのは、鶴の『おつう』だ。銀翼が怒りで羽ばたくのを恐れ、下を向いたままおつうはただただギンの話を聞いている。
「わかったか、鶴は優雅で、かつ華麗に恩返しをしなくちゃならねえ。まして命の恩人とあっちゃ、糞野郎だろうがなんだろうが、返すのが道理ってもんだ」
「それなら、あたしが織った反物をただ家の前に置いておくだけでもいいんじゃないですか?」
「たわけ!ばか者!恥を知れ!」
「ひいい」
ギンの怒りはとどまるところを知らず、住処で話を聞いていた者たちはその身を震わせておびえる。おつうにいたっては顔面が蒼白で、白い羽でも隠せないほどである。
「鶴なら鶴らしく、人を化かしてでも反物を織って、渡して、尽くすんだ!顔も見せねえで置いていくなんてしてみろ。お天道様に・・・」
ギンが怒鳴り始めてからどのくらいが経っただろうか。もはやギンの好きなお天道様はとうの昔に落ちており、あたりは闇に包まれ始めている。それでもギンの怒りは収まらなかった。
「いいか、明日早々にその男のところに行き、恩を返して来い!いいな!」
しばらくして、藪八のもとに、一人の美しい女が転がり込んできた。名を『おつう』という。
「お、おつうたあ、なんともいい名で」
「ありがとう」
「で、なんだってこんな、人里離れたところに来たってんだ?」
「友達を訪ねてここまで来たのですけれど、外はごらんの通り大雪。体力も底をつきかけていたところにあなた様の家を見つけました。まことに手前勝手ではございますが、こちらで雪が止むまで休ませてはいただけませんでしょうか」
おつうは、ギンに言われた通りに丁寧な口調で話し、藪八の家に転がり込む作戦に出た。
と
「なるほどなるほど」
「え?」
「お前、人間じゃねえな」
おつうは不意に、体を硬直させた。
「な、何をおっしゃいますか。この通り私は生身の人間」
「馬鹿いっちゃいけねえ。あんたのいうとおり、外は大雪さ。それも人里離れたこんな山奥。道はがたがた、風は轟々。獣も幅を利かせてて危ないってのに、あんたみたいな若い女子が一人でのそのそやってこれるとは思えねえ」
藪八はおもむろに立ち上がり、おつうのもとに歩み寄ると、額がくっつくかと言うほどのところまでやってきて言った。
「失せな。妖怪には興味がねえ」
そう言うと、持っていた猟銃をおつうの肌に押し当てた。おつうは体を硬直させ、昼間の罠にかかったときよりも一層恐怖に体を震わせる。
「恩を」
おつうは、振り絞るようなか細い声で、ようやく藪八に言い寄った。
「恩を返したく存じます」
「恩?」
おつうは、洗いざらいしゃべり、山での長老の台詞もあわせて伝えると、ようやく一息ついた。
「ほぉ、恩ね」
藪八はにやりと笑うと、おつうにこう言い渡す。
「なら、俺の女になりな」
それから一年。おつうは尽くした。昼は織物。夜は夜伽。男はただただ求めるだけ。おつうは我慢し、それでも尽くした。逃げようとも思ったが、藪八がいつも腰に下げていた猟銃が眼に入るたび、体が硬直して動かなかったのである。
―なんとか、しないと
藪八にとっても、おつうにとっても転機とも言うべき日が来たのは、ほどなくしてからである。そろそろおつうが来て一年、というときになり、おつうは藪八の子を身ごもってしまった。
「え」
おつう自身、それは信じられないことだった。いくら人に化けているとはいえ、鶴である。身ごもるはずがない。おつうは悲しみと怒りが入り混じった表情で、藪八に詰め寄り、こう言った。
「取り返しのつかないことになりました」
だが、藪八から返ってきた言葉はこうである。
「ふん、一年も共に過ごしたってのにまだ俺が憎いようだが、果たしてお腹の子供まで憎めるのかい?おめえさんは」
そのとき、おつうの中で何かが切れた。
おつうは藪八の腰に手を伸ばし、とっさに猟銃をとると、その銃口を藪八の眉間に向けた。
「はは、俺を撃とうってのか」
「あたしは、あんたが憎い」
「子が生まれたからか?」
「違う」
「じゃあ、なんでだ」
おつうはその答えを言わないまま、ただ涙を一筋流すと、銃口を己の頭に押し当てた。
「私は、これにておいとまさせていただきます」
ぱんっ
乾いた銃声が藪八の家に鳴り響いた。おつうは、涙にぬれた瞳で、倒れ伏した藪八の姿を見た。
「あんた、あんた、なんだってそんなこと」
銃が撃たれる瞬間、藪八はその銃口を己に向けて撃たせたのだ。その銃弾は藪八のはらわたを食いちぎり、背中から抜けて床に刺さった。
おつうは、ただただ藪八が理解できなかった。
「なんで、そんなこと・・・」
息も絶え絶えの藪八は、震える手を伸ばし、おつうの頭にかんざしを挿す。
「おめえみてえな美人が、巌のような顔した俺のところに来てくれたのが嬉しくてな」
声を出すたび、藪八は食いちぎられたはらわたから出た血を口から吐き出す。
「今日は、一年だ。ちょうど」
藪八は、視点が定まらないようすでおつうの頬を手探りでさわり、いつものようににやりと笑うと、
「似合ってるぜ」
そう言って、事切れた。
『なんで俺が憎い』
そう聞かれたとき、おつうは答えが出なかった。はじめは恩返しだからと、嫌々ここに来て、正体がばれて、脅されて・・・
「でも」
そうだ、おつうが必死の思いで織った反物を、毎日毎日、休むことなく村で売っていたのは藪八だった。嫌われ者の藪八は、その反物の出所を聞かれてもがんとして言わず、ただ必死に売りさばいていた。
怪我をして帰ってくることもあった。
「いい気味だなんて・・・」
思っていた。藪八は毎晩、おつうを愛した。
「気持ち悪い」
そう思っていた。でも・・・
「何一つ、酷い事なんてしやしなかった」
おつうが美人だったからかもしれない。藪八が見た目以上に繊細で心優しかったからかもしれない。
「なんで、あたしはそんなことも分からなかったのだろう」
おつうは、自分が鶴で、藪八が人間であったことを悔やみ、一晩中泣くと、長老に別れを告げ、山を降りていった。
その後、おつうを見たものは誰もいなかった。



